忍者ブログ

東京人 2016.6月号

2016年10月25日


発売元:都市出版

特集は「東京なつかしの団地」。

巻頭は60年代70年代の団地の写真が飾りますよ。そんな中に大きな団地と、くさっぱらの中の一本道を駅に向かって歩くサラリーマン一行の写真。「こんな田んぼのど真ん中にあるような団地、あるのかね?」とおもって、キャプションを見たら、武里団地とあったw 地元じゃねーの。

団地というと、『団地ともお』くらいしか思い浮かばない貧困な想像力なのですが、そもそも団地というのは高級住宅地だということを知ってびっくり。
昭和40年当時の世帯主の平均年齢は36.5歳で、団地人口55万人のうちの半数近くは25~40歳、ついで0~10歳までが30%だった。世帯主の職業は56%がサラリーマン。入居者にブルーカラーが少なく(9.5%)、役員・管理職が多い(28.5%)のが特徴のひとつだ。「世帯での働き手は一人」が約8割にも達していた。この頃はまだ「夫は外で働き、妻は家庭を守る」考えが強かったので、共働き世帯は大卒のインテリママさんが多い当時の公団住宅でもわずか一割しかなかった、世帯の平均月収は6万9000円で、同時期実施の総理府統計局の一般家庭家計調査の平均5万7000円と比べると、公団住宅のほうが若干高く、所得分位「中の上」以上の人がかなりいた。
これは大卒の初任給が一万円程度、高卒は7000円前後(昭和35年前後)の時代に、家賃4000円~8000円の5倍以上の月収がないと公団住宅に入れない条件をクリアした居住者たちなので、こういった結果は至極当然だったかもしれない。

これ、38ページにあった記述だったのですが、何度も何度も見直しちゃったものwww

いつから団地の意味合いって変わっちゃったのでしょうかね??

ちなみに日本住宅公団が1955年に設立されたのが日本における団地史の始まりだと言われている。賃貸住宅第一号が大阪堺市の金岡団地で、分譲第一号が稲下団地だったんだとな。

私たちは、団地につついて詳しいことを知らなすぎたのかもしれない。
いや、それはワタシだけかもしれないけれどwww

で、東京都下や、千葉、埼玉、神奈川の団地は田んぼを埋めたり、山を切り崩したりして出来ているのですが、都心の団地は、そうじゃない。軍用地後や、工場跡を団地にしてるのよね、っと。

そういうトリビアも、いろいろ込められていて面白かった。

そして、板橋区高島平にある西台アパートの1階部分が鉄道の操車場担っているということを知ってびっくりだ。

で、そんな今月号を読んでいたら

『規制の虜』



規制の虜 グループシンクが日本を滅ぼす


『昭和の東京映画は名画座』


昭和の東京 映画は名画座


『東京レコやヒストリー』




東京レコ屋ヒストリー


を読みたくなりましたな。

あと湯島の「井泉本店」に行きたくなった。正蔵師匠、エッセイ面白いね。

あと、ずっと神楽坂(千代田区富士見)にあると思っていた東京国際フランス学園が平成24年に滝野川に移転してきてたのね。ドーリで、あのあたり、フランスっぽいお店が増えていたんだわ。





東京人 2016年 06 月号 [雑誌]

タイトル:東京人 2016.6月号
発売元:都市出版
おすすめ度:☆☆☆☆(トリビアの塊だね)
PR
Comment
  Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字